合田隆実(昭和32年卒)
ヨーロッパの歴史
1949年製作、カンヌ国際映画賞に輝き、当時の第二次世界大戦終了後の、オーストリア、ウィーンを舞台のミスデリー、又あの有名な音楽 “第三の男” に魅せられ、いつかはウイーンを訪ねたい、そんな思いがあった。それに加えて、当時毎日新聞ウイーン支局長を務めた、塚本哲也氏執筆ノンフィクション、「エリザベート」ハプスブルグ家最後の皇女、が刊行され、縁あって読みはじめ、アッとゆう間に、夢中になったこと思い出します。その後ドイツ、オーストリア等訪れる皆様に、この文春文庫を出張前に差しあげ、古いヨーロッパの歴史、面影をしのんでいただいたものです。当時皇帝の歴史、恋物語、各国間の軋礫、又ドイツナチスの登場等、又その歴史探訪にまつわる史跡等、各地を回っての実地の見学、案内本にない面白さをひしひしと感じたものです。当時の世界情勢、皇帝のひととなり、人問臭さ等随所に、その卓越した面白さは、作者の文章力とも相まって、興味は尽きません。
海外の歴史に疎い我々にもこれはひきつけられたものでした。そんな思いがあって、ウイーン中心に過去、6回一人旅を敢行致しました。失敗談を一つ聞いてください。ドイツの仕事が終わり、後は自由時間、念願のウイーンを目指し、ミュンヘンより、ウイーン西駅に列車で到着、ホテルにチェックイン、ロビーでお客様がテレビの前で何やらワイワイ、見るとはなしに目に入ったのが、日本のニュース、カナリア先頭に警視庁の皆様が隊列を組み、まさに上九一色村に強制捜査、その時のウイーンのトップニュースなのです。物珍しい日本人に対する奇異なまなざし、忘れません。2007年3月でした。3泊4日の旅の最終日前夜、シェーンプルーン宮殿のモーツアルトコンサートのチケットを予約、夕方に市内中心から地下鉄で30分、予約の席にもぐりこんだ。問題は帰りです。お客様のほとんどは、車でご夫婦連れか又はアベック、その他の人はツアー客、ゆっくりして出口に向かうと、自分だけが取り残された。出口がすべて締り出られない。広い宮殿広場を回るが出口がない。夜も遅く途方に暮れる。お客様で自分一人が地下鉄?1時間ほど探したが、見つからない。広場の遠くから、かすかな物音、近づくと、外壁の工事屋さん、頼んで守衛さんまで連絡をしていただき、無事終電車に近い時間にホテルに帰れた。翌朝早い、オーストリア航空にて、無事成田を目指した。
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