衛藤智浩(昭和55年卒)
令和4年3月31日をもって、思い出の職場卒業しました。
職場としては、3個目でした。
自分が入庁した昭和60年はまだ日本も成長期であり、バブル前のイケイケ時代でもあり、当たり前のようにネット社会でもなく、コンプライアンスなんて、ないに等しい感じでしたね。(ちょっと、言い過ぎかも?)
千代田区大手町、柏市、清瀬市、霞が関、札幌市にて数十年勤務させていただき、2回の単身赴任生活もありました。それなりの立場も様々な形で経験させてもらい、感謝の気持ちしかない職場でした。
マスコミも毎日、広告料なしで、自分の職場連呼してくれますし、知らない方がいないくらいになっています。
一番印象に残っているのが、東日本大震災後に担当した「除染担当調査官」でした。放射能汚染された地域にある土地、建物等の放射能除去作業を行う業務です。結局、自分が最初で最後の専門担当になりました。
また、避難禁止地域の浪江町に白装束着て、震災日から時間が止まった無人の街を視察したときと福島県いわき市から、海岸を北上したときに見た数十キロ広がる基礎だけしかない建物、木の上にいまだある衣服の残骸は、今でも忘れることができない記憶です。そのときには、除染気張る!と心に決めた瞬間でもありました。
最後に
卒業日には、同僚やら、娘たちから退職祝いいただき、美味しいお酒飲みながら、第二ラウンド気張ってます。
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