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「コラム」沖縄報告(OIST、首里城再建)

門田睦雄(昭和40年卒)


 コロナで遠ざかっていた沖縄に、先日(10月末)久しぶりに行ってきました。目的は沖縄科学技術大学院大学(OIST : Okinawa Institute of Science and Technology)の設計チームの同窓会と、首里城再建の見学です。この二つについて簡単に報告します。


〈OIST教授のノーベル賞受賞〉

 OISTは、日本に世界トップクラスの大学を作ることと、沖縄支援の一環として、約10年前に開学した大学院大学です。世界トップクラスに相応しいキャンパスを作るべく、日建設計・コーンバーグ事務所・国建で構成する設計共同体(JV)の一員として、私は10年以上このプロジェクトに携わりました。

 この度、OISTの教授を兼務するマックス・プランク進化人類学研究所長のスバンテ・ペーポ博士が、人類の進化とゲノムの関係での研究成果を評価され、ノーベル生理学・医学賞を受賞されました。博士の率いるOISTのヒト進化ゲノミクスユニットには5人の研究生がいて、博士は今後OISTでの研究を希望されているそうです。

 OISTは当初から、ここで研究する人からノーベル賞受賞者が出て、世界中から優秀な研究者が集まることを目指していました。今回はそれに準じる成果であり、大学を挙げて慶んでいます。

 私達もすぐに思い立ち、既に米国に帰られている前学長や施設担当副学長、設計JVの米国メンバー・コーンバーグ氏を含む当時の設計メンバーで、リモートのお祝いをしました。(コーンバーグ氏は研究所建築を得意とする建築家ですが、お父さんとお兄さんが研究者で、共にノーベル賞を受賞しています。)

 今回の私の訪問は、沖縄に日本の設計メンバーが集まっての受賞を祝す同窓会に参加するためでした。

OIST全景:右の黒っぽい建物群が研究施設エリア、左から後方にかかる赤瓦の建物群が教職員や、研究者、学生の宿舎。現在は更に幾つかの建物が増えている。(OISTホームページより)



〈首里城復元〉

 首里城は琉球の王宮であり、行政の本部でもありました。15世紀から16世紀にかけて完成し、中国と日本の両方の文化を反映する建物は、何度か火災にあうもののその都度再建され、多くの人に愛されてきました。1945年には米軍の攻撃で焼失し、戦後跡地は琉球大学のキャンパスとして使われてきました。その後沖縄の日本復帰を記念して、1992年には正殿を中心とした建築群が再建され、多くの人が訪れる沖縄の中心的観光地となっていました。しかし、2019年10月31日未明に発生した火災により、主要施設は全焼してしまいます。原因は定かには分かっていません。


 いまこの首里城の復元工事が2026年の完成を目指し進行中です。今回の特徴は「見せる復興」で、幾つかの試みが実行されています。第一は、正殿を覆う仮設の素屋根で、この中で建物は作られてゆくのですが、仮設建物から間近に建設状況を見ることができ、出来上がってからは直接見ることが出来ない作業風景は、大きな売り物になります。姫路城の修復作業では同様の仮設覆いからの、屋根瓦ふきなど高所作業の見学が人気だったといいますから、今回も人気を集めるでしょう。更に今回は、この仮設の覆いと一体に木材倉庫・加工場と原寸場が設けられており、外から見学できます。原寸場というのは加工するために本当に原寸(1:1の縮尺)で図を起こすことで、曲がった木も含む大きな木材が、どんな道具で、どう加工されるのか、見ものです。また大量に使用される大きな木材を、乾燥を兼ねて保管する場所も魅力的です。しかも単に見せるだけでなく、大きなスクリーンでの解説もついていますので、よりよく理解できるでしょう。

仮設覆い:現在木材倉庫・加工場と原寸場が完成、素屋根は今後増築される。(現地説明パネルより)







木材倉庫・加工場と原寸場:部材加工の現場が間近に見られる。(現地説明パネルより)









 第二は、琉球王朝時代を彷彿とさせる色々なイベントなどを開催し、来訪者に時代体験をしてもらうことです。私が訪れた日は、琉球の王と王妃が姿を見せるイベントと、沖縄伝統の組踊りを現代風にアレンジしたダンスをやっていました。

イベント:琉球王朝の王と王妃の登場









イベント:現代風組踊り










 復興には金がかかります。その費用の一部を観光客に求めるのは正当な方法だと思いますし、そのためには訪れた人が満足するようなコンテンツを提供せねばなりません。今回垣間見た「見せる復興」は十分その意識に基づいており、これに応えると思います。皆さんも是非首里城を訪れて、復興に協力してください。

 首里城の火災は悲しいことだけれども、古来の建築が失われたわけではなく、再建された建物の消失です。誤解を恐れずに言えば、予想しなかったことで「技術の伝承」の機会が与えられたと、ポジティブに考えることもできます。伊勢神宮は20年という式年毎に建て替え、技術を伝承してゆくのですから、首里城にも同様の機会がやってきたのでしょう。

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