衛藤智浩(昭和55年卒)
自分が福岡の小学校・中学校時代は現在の筋トレって、あまり記憶が無く、「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスか、柔道一直線の鉄下駄くらいしか浮かびません。
豊津高校に入学し、苅中学区のため、バイク通学が認められていました。(自分はある理由で、認可が1年間保留されました。。。会って聞かれたら、こそっとアナウンスします。)
高校2年だったかな? 悪友の板谷といつものとおりバイク下校(自分は無許可中)している時、農高(現行橋高校)前を越した緩やかなカーブを曲がったら、側道から右折してきた乗用車(今でも覚えていて、モスグリーンのスポーツ車)が減速無しで突っ込んで来て、正面衝突して、左半身打撲。(今でも、車が自分に突っ込んできた数秒の記憶があり、幼少期の思い出とか走馬燈のようにまた、スライドのように浮かんできました。)
板谷は自分の後ろ走っていたので、どうにか躱して、良かったです。
その後、学校には、絶対にばれてはアカンので、治療中は階段から落ちたことにしていました。
その治療中に、レントゲン撮ったときに骨がちょっと変形し、神経に当たる危険があるので、手術も視野に入れて、治療するか?と主治医から話があったが、ここに落とし穴がありました。
手術の成功率が相当低かった記憶があり、父と相談し、何故か父行きつけの接骨院に行かされ、先生から、「智くん!鎧を被れ」と訳のわからない発言がありました。意味がわからないので、聞き返したら、「骨の周りの背筋と腹筋を鍛えて、神経に当たらないようにカバーリングすることしかないよ」との回答でした。
これからが、自分の筋トレの始まりでした。
まず最初は、父がセメント会社勤務のため、セメント作る過程で鉄球できるからとか言って、5kgと8kgくらいの鉄アレーとどこから持ってきたのか?わかりませんが、自転車のチューブを自分にくれました。ついでに庭にコンパクトな鉄棒も作ってくれて、筋トレやるしかない環境となりました。
Amazonから引用
上京しても、その鉄アレーは大学でも職場変わっても持ち運んでいました。
札幌単身赴任時代に、筋トレ好きな部下がいて、置いてきました。
その後は、ジョギング取り入れ、ダンベルを買い、自転車チューブの代わりにおしゃれなグッズと腹筋ローラーたちが相棒となっています。
それ以外には、年を取るごとに身体が硬くなってくるので、娘が読まなくなったストレッチ本を、参照して、毎日StretchとLongBless取り入れて、老化防止しています。
また、おじいちゃまになってもできるように、Walkingはほぼ毎日10,000歩以上を心がけています。
皆さんも自分に合った老化防止を見つけて、今日からやりませんか?
Comments