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「コラム」私の癒し ―動物篇―

衛藤智浩(昭和55年卒)



 幼少の頃から、生粋の犬派でした。

 (猫は、父の姉が開業していた美容院で飼っていて、愛想もなく急に野生に戻ったりするので、猫は相当苦手で、触ることさえできませんでした。)

 祖父母の家には、狩猟する祖父用に、ポインターっていう狩猟犬が何匹もいました。

 凶暴なため、檻に入れられていることが多かったので、人間が近づくと尾を振りまくり喜んでいた光景が好きでした。また、餌をやるのが一番大好きだったかな?

 一心不乱に、白ご飯に自分(祖父と)が獲ったイノシシやシカの肉入りを食べる姿を見ると笑顔が自然に出てきました。

 余談ですが、その癖が抜けず、娘たちにも散歩すれば・出張いけば・単身赴任での帰省では、大量に食べ物買って帰り、娘達から怒られています。


 上京してからは、犬は飼えない環境が継続して、銭亀、セキセイインコ、シマリスなどを飼ってましたね。遊びほうけていた頃でも、渋谷、歌舞伎町で夜遅くまで、遊んでいても、何でか?朝のえさやり時間までには、帰宅していたくらい、大好きで大切な仲間でした。


 結婚してからも、官舎住まいでしたので、犬は飼えない環境が継続でした。

 それから、娘たちのコミュニティに自宅を購入した頃は、娘たちと山の神が犬を飼うことに賛成するための作戦をいつも考えていました。

 娘たちは、「犬さんと散歩したい!」とか、好感触で地ならしはええ雰囲気になりました。

 が、山の神は、夏なんかに、犬が舌出して、ぜえぜえしてるのが。。。顔なんかを舐め回すのは。。。と。舌出すのは、大型犬。猫だって舐めるやん!とか、懸案事項はすこしづつ、減少してきた矢先です。

 11月の寒い日、末っ子ちゃんから、駅からの帰宅途中に「ネクター飲みたいと」とLINEが入り、自動販売機を目標にいつもと違うルートで自宅に向かいました。

 自動販売機で、ネクター買っていると、か細い子猫の鳴き声が聞こえてきました。

 自分は、猫苦手(――)そのまま、帰宅し、在宅の娘たちに、鳴き声の話をしたら、その場所に行くよと命令され、また自動販売機に向かいました。

 娘が自動販売機の後ろの隙間から、手を突っ込んで、子猫を救出しました。

 暗闇ではわからなかった子猫は、街灯下で確認したら黒猫でした。しっぽは、コンプレッサーで焼け焦げて、目は開かない状況でした。

 その夜は、できる限りの応急処置して、次の日動物病院にて治療してもらいました。

 (大田区は、野良犬、野良猫には、治療の減額制度があり、相当安価になりました。)


 娘から、こんな状態で手放したりしないよねと脅され、娘たちの部屋から出さない約束で自分では考えられない猫との同居が始まりました。


 何日かして、家に自分しかいない時に、リビングで晩酌しながらくつろいでたときに、睡魔に襲われてうとうとちょっと眠りについていたら、膝に何かいる感触があり、目を開けると子猫が寝てました。。自分は暑がりで、家族がいないときは、暖房全く使用しないので、一番暖かいところに避難してきたようです。

 自分は触れないので、娘たちが帰宅するまで、起こさないように微動たりともしないで待っていました。。それから、そんなことが何度もあり、人間慣れってすごいですね。幼児の頃から触ることもできなかった猫に触れるようになり、また情が湧いてきました。(未だにほかの猫は苦手です。しゃーないです。)

 今では、ネロ(イタリア語で黒)と名付けた黒猫は、衛藤家で中心的存在となりました。


 皆さん、帰宅すると「ネロは?」が常識です。

 猫はツンデレです。散歩も要らないし、今はネロにえさやるときとじゃれあう時は一番の自分の癒しになっています。

 それに、ええ相乗効果のため末っ子ちゃんは、そのネロが来た当時中学生で反抗期デビューちょっと前だったのですが、デビューする前に、自分より下ができたのが理由からかもしれません。それは、わかりませんが、末っ子ちゃんに未だに反抗期来ていません。



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