衛藤智浩(昭和55年卒)
小学生時代は、田川市西区麻生セメント田川工場社宅に住んでいました。
会社だけでコミュニティが形成され、社宅のど真ん中に生協、八百屋、精肉店やら、唯一の食堂がありました(理容室もありました。マスターは父の吞み仲間でしたが、抗争で死亡)。幼稚園も小学校も会社関係の児童が大半でした。
今でも、記憶しているのは、親の職種に、普通なら「会社員」「自営業」と書くところを、「総務」「会計」とか、自分の父は石灰を粉砕する業務だったので「粉砕」と。
本当に小さなコミュニティだったのですが、唯一の楽しみは、加持さんが営む駄菓子屋さんと時々自転車で来る紙芝居と時々出店してた焼き鳥屋さんでした。
当時昭和40年代、ゲーム感覚のくじ引きと歯磨きチューブに入ったチョコ、丸いカステラが4つくらい串差しされたものやら、飲み物はミリンダチェリオを飲んでた記憶があります。
↑ showa.love.jpから引用
↑ www.morinaga.co.jpから引用
↑ dagashijiten.comから引用
紙芝居は、ちりんちりん鐘を鳴らしながら、自転車でおじさんが来てました。
そこでのルールは、5円か10円の水あめか酢コンブを購入することでした。
(買えない子が、遠巻きに見てると怒鳴るおっさんもいて、そこは、忘れたい思い出です。)
↑ blog.goo.ne.jpから引用
↑ netrox.bizから引用
最後は焼き鳥屋です。生協の前に、土曜日の夜とかに出店していました。
生まれて初めて食べた焼き鳥は、皮のたれ串でした。
甘辛い味がたまらなく、いかつい父に頼んで、たれだけを追加でもらい、何回もつけて食べた記憶がありますね。未だに好きです。
これが、五木寛之の青春の門の舞台になった筑豊地方の庶民的小学生の楽しみです。
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