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「コラム」 神社の祭

衛藤智浩(昭和55年卒)


 前にも投稿しました。

 衛藤家は家長が絶対的地位にあります。家長である父からの命令(教え)「家を買うときは、由緒あるような神社仏閣近隣にしなさい。」に従い、徒歩15秒くらい超近隣に自宅購入しました。

 引越して、自分と娘たちの友達が近所に住んでることが分かり、その縁で神社の氏子会に参加することになりました。最初は神社の清掃活動だけでした。それから、地域活動にかり出されて、盆踊り、春夏の祭と地域の様々な職種の方々と親交を深めています。

 そのおかげで、東京でも祭を楽しんでいます。

 上京する前は、小学時代は、田川市西区船尾の麻生セメント住宅に住んでいたので、彦山川の川渡り神幸祭が一年の楽しみでした。中学高校時代を過ごした苅田町にも10月に苅田神幸があります。地区ごとに山車にデコレーションして、苅田町役場の広場に集合します。

それから、飾りを外してから、山車のぶつけ合いの喧嘩祭になります。


 やはり、祭の一番の楽しみは屋台でしたね。

 リンゴ飴、フレンチドック(東京ではアメリカンドックと言いますね、これもカルチャーショック)等好んでいましたし、後は型抜きを何回もやって、やっと上手く抜いたのに、屋台のおっさんがわざと無造作に扱って割って、「坊主惜しかったな、もう二枚やるから、すまんの!」と大人の社会の裏構図を初めて知ったことも記憶しています。

(父に帰宅後話したら、ちゃり飛ばして、帰宅時には欲しかったモデルガン持参でした。こんなときはこのおっさんには逆らわずにいようと思いました。)

 また、田川市の社宅で、父が麻雀を仲間と毎週のようにやっていました。自分には優しいおじさんばかりでしたが、皆さん背中に般若、牡丹やら綺麗な絵があり、母が「夏でも服は脱がない!」と怒っていましたね。

 東京に来てからは、焼きそば、お好み焼きと西のものを選んでいます。可笑しなモノです。

 コロナも5類移行になり、商店街での催しも復活して、皆さんの自宅周辺での祭等に積極的に参加しましょう!!


【写真は2点とも「西日本新聞」から引用】








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