top of page

「コラム」憧れのアイドル達との思い出

衛藤智浩(昭和55年卒)


 小学生時代は、シンシアこと南沙織さんが、好きでした。褐色の肌、吸い込まれそうな眼、白い歯! 現在でも一線で活躍できると推量できます。レコード屋さんから、ポスターをもらって、天井に貼って、満足していました。

 いまでも、海に行くと「17歳」のメロディが聞こえてきそうです。

※amazonから引用 ↑


 中学校時代は、モントリオールオリンピックの白い妖精と言われたナディア・コマネチさんが好きになり、コマネチ関連のものを買うために、水道工事の土方バイトを父の飲み友達の紹介でやりました。中学生にもなかなかハードで、足腰限界でバイト終わりには自転車乗れないので、押して帰宅した記憶があります。そのおかげで、「妖精コマネチのテーマ」のレコードも買えました。

 また、ファンレター出すために、海外用の封筒と便せんを大量に買い、月4通くらいのペースで、ナディアが住んでいたルーマニアのブカレストに郵送していました。そのおかげで、英語の成績は良かった記憶があります。

※amazonから引用↑


 高校時代当初は、チャーリーズ・エンジェルのシェリル・ラッドさん、小さな恋のメロディのトレーシー・ハイドさん、などなど海外の女優さんに、興味を持ちました。

 あの頃、ロードショー、スクリーンという海外映画専門の書籍もあり、毎月楽しみにしてました。また、小倉は都心と違い、映画も1ケ月程度遅れて、上映していました。

 でも、東京とかでは1本上映作品を、2本鑑賞出来たのは、お得でしたね。小倉の映画館鑑賞後は、魚町?だっけな?UCCっていう喫茶店があり、そこのナポリタン食べて帰るのが、定番になっていました。本当に懐かしい~。

※amazonから引用↑


 高校中期は、TVで「コメットさん!」が放映され、一挙に大場久美子さんの大ファンになっていきました。(郁恵ちゃんとの「マジカル7大冒険」という番組も好きになった要素)彼女は、スプリング・サンバ、キラキラ星あげる、大人になれば、ディスコ・ドリーム等、ちまたでは、音痴やな!、声が出てないとか声が聞こえてきましたが、ファンには名曲としか自覚がなかったですね。その中で、あまり有名ではないエトセトラという曲が一番好きでした。

※amazonから引用↑


 ちょっと、浮気したのが、高校2年生の頃、同じクラスの柏木と二人で、当時新人だった高見千佳さんのファンクラブ創設です。何故か?あの頃一瞬はまりました。

※amazonから引用↑

閲覧数:6回0件のコメント

Comments


bottom of page