白川 昌美(昭和40年卒)
20数年前に米国ツアーした時の事です。
日経新聞の1面を飾って米国シリコンバレーでベンチャー企業を起こした友人を訪ねた。
サンノゼ空港がその会社の会議室から望める良い場所だった。
近くには道路と垣根の無い広大な芝生の中に聳えるAdobeの大きな社屋が印象的であった。
LSIの開発で先行を目指しての起業で、日本を発って1年弱の時間が経過していた。そのU社長とK副社長それに私の上司と食事に行った。寿司屋で生の牛肉の握り寿司が出てきたのには驚いた。
後で、副社長Kさんの家に行き久し振りに話し合った。会社を退職してベンチャー企業を起こすまでの話、それにも増して米国でのベンチャー企業の立ち上げの苦労等、深夜まで2人の話は尽きなかった。
睡眠不足の翌朝、近くのレストランに私の運転で出かけた。
その時、ふと、Tony Bennettの歌『I Left My Heart in San Francisco ・・・を思い出した。 大きな起伏の道路を運転していると、思わず左側通行と間違えてヒヤリ! 新天地でのスタートの資金はタップリあったが、友人は悩みで一杯であった。
その後、上司の宿泊先のホテルで合流し2人でロスに向かうことになった。
クリントン元大統領の常宿であったそのホテルの玄関で凄いクラシックカーに出会った。
ベンツの初期モデル!! ヘッドライトは提灯のようなランタン、タイヤは馬車のような木製のホイール!
思わず車の価格を訊くと『It's Priceless!』との返事。 贅沢の極み !!
サンフランシスコからロスに向かい20名弱のNTT-GPの方達と合流した。このメンバーは『北海道から沖縄までの全国を網羅する特殊な情報システム』を協力して構築した主要メンバーだった。
当時、ロスのダウンタウンではトム・クルーズ主演の『MI-2』(最初の作品)の巨大な広告が目抜き通りに出ていた。 ユニバーサルスタジオには『バックツーザフューチャー』に登場した空を飛ぶ車『デロリアン』が正面入り口に展示してあった。
また、有名な『グリフィス天文台』も全員で見学に行った。入ってすぐに『巨大なフーコーの振り子』、館内を十分見て回り楽しんだ後、帰路に就いた。
ところが、天文台の外に出てみると既に夜空に満天の星!眼下には広大なロスの夜景が広がっていた。
しかし、広場にはバスもタクシーも交通手段が無くなってホテルに戻れない !!
浦島太郎の状態になった。
すると、ポケットからタクシーの領収書が出てきた。その領収書に記載のタクシー会社の電話番号を見てホッとし、早速、携帯電話で、『車を5台回して欲しいと』告げた。とこが、窓口のスパニッシュ訛りの女性は場所が分からないという。
こんな有名な観光名所を『知らない。』と言ったので上司に電話を代わってもらった。電話口に出た上司は流暢な言葉で『何処に車を回せば良いか?』と言うので、再度、グリフィス天文台まで、と告げると『そんな場所は聞いたことが無い!!』と言う!?? 仕方なくスペルを伝えると、『そりゃ、発音が悪すぎ !!』と言われて、ガックリ !! 苦い思い出です。
帰路は自由解散で全員バラバラに帰国することにした。
私はロスで開業医をしている友人のジャグジーとプールがある豪邸を訪ね、久し振りに深夜まで語り明かした。
翌日、ロスの空港でチケットを早めにカウンターに見せるようその友人から言われていたのを思い出し、カウンターに行くと、「お待ちしていました。」と言って、赤い絨毯の通路を通って特別室に案内された。搭乗時間が来て飛行機に案内されたのはジャンボジェットのスーパーシートで5名限定の空間。
パーサーが膝まづいて出してきたメニューは豪華な物ばかり。しかし、寝不足で食欲が無かったので、ジュースと伝えると、是非、キャビアをと言う。が、塩漬けのキャビアと思い「結構 !!」と断ると、是非とも召し上がって見て下さいと言うので仕方なくオーダーすると何と豪華な『生のキャビア』だった。それに美味しい日本酒 !! 後はシェルターのベッドで爆睡 !! 目が覚めると成田空港だった。
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